上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
浜松北高地学部天文班 - スポンサーサイト
--:--:-- Top↑
久しぶり・・・というか多分これが最後になるかも知れません。
数回しか更新をしておらず、不満に思っていた方、本当に申し訳ございません。
おそらく、次の代の方は更新をしっかりしてくれると思いますので、安心してください。(笑)

今、部活では世代交代の時期が近付いています。
二年生から一年生に・・・そのことでの不安ははっきりいってありません。
おそらく彼らだったら今の自分たちよりもさらにすばらしい研究をしてくれることと思っています。

その証に、ある班では地学室を貸しきって今年の研究であやふやになっていた、
照度(SQM?)に関する実験の実施、また別の班では自分たちでプログラムとそれをもとにした
機械を作成、そして実際の実験で運用等々・・・自分達のレベルを大きく越えています。(笑)
そして、今まであまり物を動かすことがなかった部室も後輩達が模様替えをし、
まだ途中ではありますが、自分たちの頃の部室とは大きく様変わりしています。
こういう風景を見ていると、もう引退なんだなぁ・・・と少し感慨にふけってしまう自分がいます。
やることも大体終わった自分はどうやら御邪魔虫のようです(苦笑)

あっという間の一年半・・・というと大げさかもしれませんが、自分はやはりそう感じてしまいます。
その間様々なことを学び、そのかけがえのない経験が自分を大きく成長させたと胸をはって言えます。
昔の自分は本当に未熟で、そのため班の皆には色々な迷惑をかけてきました。
そんな自分と共に研究をしてきたみんなへの感謝は、言葉では多分言い尽くせないでしょう。

しかし、成長したといっても今の自分はやはりまだ未熟です。
そして、今年の研究もまた未完成なものでしょう。
それを完成させ、さらにそこから新しい可能性を見出すこと、
それは一年生の後輩達に託したいと思います。

先ほども言いましたが、恐らくこれが自分にとって最後の更新です。
今まで色々と書かせて頂きましたが、身の程知らずのことを結構書いていたなと思います。(苦笑)
しかし、それらは今までの部活で自分が思ったこと、感じたことの全てだった、
これだけははっきりと言えます。
自分が今まで研究をして何を学び、経験し、そして培ったのか。
その一部がもしかしたら今までの文章に表れていたのかもしれません。

ただの戯言と思った方はすぐに忘れちゃってください。
しかし、少しでも興味を持って頂いた方は心のどこかに残して下されば自分としては幸いです。

最後に今まで・・・やっぱりやめておきます。
皆への思いはこの場で言うべきものではないと思いますから。
それはまた別の機会に。

次はおそらく次の世代が書くことになるでしょう。
皆さんお楽しみに。

では、またいつか。

浜松北高地学部天文班 - たぶん最後です。
13:48:50 Top↑
2010.10.05 emotion
始めに言います・・・すいません。
前回書いたつもりだったのですが、別のものに上書きを
してしまったらしく・・・
4月1日に書いた方本当にすいません・・・

その前の内容について続きを書きたいと思います。

自分の思いの表と裏、それはやはり難しいもの。
一方をとれば一方の心が苦しみ、
またもう一方をとれば今度は一方の心が不満を抱く・・・
そんな板挟みのような状況を誰もが体験しているのではないでしょうか。

その心の揺らぎとよべる状況は一体何が原因なのでしょう?
私は今の自分を取り巻いている環境そのものが関係していると思います。

人の思いと環境・・・その関係はとても複雑なものです。
今の環境を自分がすんなり受け入れられるのなら良いですが、
人の心はそううまくは出来ていません。
急に周りの環境が変わるとそれに対応できず、
それを負担に感じたり投げ出してしまいそうになったりする。
その現状による高い壁がいつの間にかもう一つの心、
つまりもう一人の自分を作り出していることがある。

そのもう一人の自分は一体どういう位置づけをすればよいのか?
現実から逃げるための自己防衛、
または不満を自分の中にためこむための処理場など・・・
このように人は自分の中に悪の自分を作り出している、
そう考えるべきなのでしょうか?

では、自分は現実から目を背けている、全く向き合っていない、
そういうことなのでしょうか?
いやそうではない、と私は思います。
なぜなら、それは現実と必死に向き合ってその結果が
もう一人の自分であると思うから。

私は、もう一人の自分を本当の意味で「もう一人の自分」と位置づけたい。
つまり、どちらも嘘偽りのない自分の思い、自分が今周りの世界に触れて
つかみ取った感情である、私はそう思います。

だからこそ、そのどちらかを選ぶ必要はないのです。
その思いの一方だけ、ではなくその思いを重ね合わせた
どちらも納得できるような答え・・・それを探すのが
私達がするべきことなのではないでしょうか。

どっちも捨てきれない・・・だったら両方をとればいい。
ただそれだけなのです。
自分が抱く感情は、全て自分自身のもの。
そのひとつひとつをどうか大切にして下さい。
そうすれば今自分が最も探し求めている答えが
見つかる、少なくとも私はそう信じています。

長文になってしまいました。
それでは、また。

浜松北高地学部天文班 - emotion
23:53:53 Top↑
2010.09.20 えっ
いっこ前の記事を書いてくれた人が復活しないので代打として初めて書かせていただきます。
他の人の以前の記事を見るといろいろと良い事を書いているようですが、
私はそういうことを書くセンスを持ち合わせていないので普通な感じで書きます。



冷静に考えてみると、ここ半年の間天文班ブログはほとんど更新されず、
学祭レポとか合宿レポとかいろいろぶっちぎったような気がします。
まあ記事の投稿日時をいじればあたかもその時に更新したようにできないこともないですが・・・・
過ぎてしまったことはしょうがないので諦めます。

さて、運動会も終わり、休み(月、火、木)と登校日(水、金)が変則的にやってくる一週間に入りました。
火曜日は代休ですが。

光害班は稲とかコスモスとかを栽培しているようです。ホウレンソウはなかったことになったようです。
いろいろな種類のライトをあてて、影響を調べているようですが・・・・どんな結果が出るんでしょうか。
また、今年もSQMによる調査を行っていて、観測地点の建物や道路についてもまとめるようです。
膨大なデータをまとめるのは大変そうです。
光害班は現在論文を書く作業に追われていて、朝から晩までパソコンと向き合っているようです。
論文、頑張ってください。

流星塵班は筆毛を使って発見した流星塵を一箇所に集めるという非常に地味な作業をしているようです。
いい分析結果が出るといいのですが・・・・
また、毎日1枚、一定の範囲における流星塵の数も調べているようです。
こちらもデータが集まってきた頃でしょうか。

あえて客観的に書いてみました。これで誰が書いたかわかるまい

活動報告 おわり

... 続きを読む
浜松北高地学部天文班 - えっ
22:03:53 Top↑
2010.09.09 思い出
久しぶりに書きます。
これからは、この部活を去るまで一週間に二回程度で書いていくつもりです。

最近の部活では論文作成が少しずつ始まっています。
論文作成は二年目の私達でもまだまだ分からないことが多々多く、
全ての作業に悪戦苦闘する毎日です。
運動会シーズンの中、部員の方々には大変迷惑をかけますが、
私からは頑張れと言う言葉しか今はかけられません。(苦笑)

「この作業一つ一つは数年後には良い経験になっているのだろうか?」
それは私にはまだ見当も付かない事ですが、そうであるよう
今はただひたすら信じて努力するしかないようです。

私は今「経験」という言葉を使いましたが、これは「思い出」という
言葉でも言い換える事が出来ます。

運動会などの行事、部活動、そして日々の学校生活・・・
思い出というとよく挙げられるのはこれらですが、もちろん
思い出というのはそれらだけではありません。
登下校時の何気ない一コマ、休日で昼まで寝過ごしてしまった失敗談など・・・
そんなわざわざ口にしない出来事も後になるとやはり思い出ということになるのでしょう。

また、そのような思い出には必ず何かしらの感情があるものです。
それが喜びや興奮などの正の感情であれば、きっとその思い出は
自分にとって心地の良いすばらしいものでしょう。
しかし、思い出の中にはもちろん悲しみや怒り、後悔などの負の感情が
つきまとうものもあります。
その出来事を自分の中で消化しきれていない場合、それらは人の
悩みの種となるのかもしれません。

では、その様な思い出は自分達にとって不必要なものなのでしょうか?
私はそうは思いません。
確かにそれは人を不快にさせるかもしれない。
しかし、その感情は時と共に次第に薄れ、その思い出を
そんなこともあったなと笑い飛ばせる日が来ます。
それが何年、何十年になるかは分かりませんが、その思いは
いつの間にか自分に訪れているはずです。

その時にこそ、自分達は己の知らない一面を見ることが出来るのではないしょうか。
一つの出来事に複数の違った感情を感じた、そういう自分を
見られることはとても貴重な事だと思います。
そしてそれがまたひとつの「思い出」となり新たに自分を形作っていく・・・
それを無限に繰り返し、人は有限の時を生きていくのでしょう。

一つの出来事から感じること、それは予め決まっているものではない。
また、一時に感じた自分のその感情も時と共に様々な形へと変わっていく。
そんな自分達が今すべき事、それは何事にも挑戦していくことではないだろうか。
失敗や後悔など恐れずに自らの力で踏み出すこと、そこから得るものはこれからの
自分にかけがえのないものとなっていくはず。

そんなことを少し考えながら、私はあと残り数ヶ月を過ごしていけたらいいなと思っています。


長文失礼致しました。
では、また。
浜松北高地学部天文班 - 思い出
22:13:25 Top↑
2010.04.30
今日は遠足に行ってきました。

疲れました。

でも楽しかったです。


明日も学祭に向けての話し合いをやります。去年と比べると若干遅れているので頑張りたいです。

学祭のテーマは「佐鳴湖」になったので、あんまり天文班は、かかわれないかもです。

また、3,4,5日は浜松まつりですね、(関係ない部員が多いっぽいですけど…)

僕は三日とも一日中参加するつもりです。




嘘です。
浜松北高地学部天文班 -
18:59:25 Top↑
2010.04.15 最近…
どうも、初めて書きます。

天文班は現在、光害班と流星塵班に分かれて活動をしています。が…

最近は学校祭に向けて話し合いをしているので、あまり研究が進んでいません。

しかし論文の内容を充実させるためにも、毎日コツコツと研究を行う姿勢が大切だと思います。

そこで考えたのですが、今の地学部に欠けているのは、

「単独行動」

だと思います.みんな部室でダラダラばかりしていないで、

たまにはド真面目に、自分が今何をすべきなのか一人で考えて行動しましょう。


それはそれとして、

地学部は部員を募集しております。明日が正念場ですね~。

でもきっと「最近メガネを変えたあの人」が新入部員を100人連れてきてくれるでしょう。

ですよね。ねっ。
浜松北高地学部天文班 - 最近…
19:47:26 Top↑
2010.04.13 meeting
はじめに、部活動紹介メッセージの作成をしていただきどうもありがとうございます。
自分たちも先輩方から受け継いできたこの部活動をさらに充実したものに
できるよう日々努力していこうと思います。
本当にありがとうございました。

学祭プロジェクトも4月に入り、段々と実感がわいてくる頃となりました。
そのためか、どうも焦りが見え始めているようです。

テーマやストーリー、その他いろいろなど、これらは
もちろんのこと一人で創作するのは難しいものです。
そこには他者の助け、つまり「意見」が必要なのです。
様々な視点からその議題を見つめることによって、
それはより洗練されたものへと昇華します。

それらを有効に引き出すための場、それが「話し合い」なのです。
人はその場では自分の思いをみんなに伝える権利を等しく与えられ、
かつそれはその議題の答えの大切の要素と変わってきます。

話し合いとは常に自分たちの意見をだしあうための場、
つまり意見が無ければその話し合いは成立しない・・・
しかし、現実には意見が出ずに流れが停滞することがよくあります。

その流れの停滞の原因はいったい何なのでしょうか?
その一つとして、「意見を言わない人がその現況」という考えは
皆がすぐ思いつくでしょう。

しかし、本当にそれだけなのでしょうか?
話し合いの参加者のみの責任、とそれで片づけて良いのでしょうか?

話し合いは一人では成り立たない、これはいうまでもないことです。
複数の人数が集まることでその真価を発揮するのです。
しかし、そのことの短所が存在します。

それは、思考がいくつも存在すること。
これは一見すると長所にしか見えないかもしれません。
しかし、その思いは常に会議の議題に向いているとは限らないのです。
その時その場での人々の感情は、人の思考を大きく左右します。
その議題を考えようにも、どうもそこに集中することが出来ない。
頭では分かっていても、考えようにも意見が頭の中でまとまらない。
それはよく起こりうることです。

では、それはどうしようもないことなのかというとそうではありません。
それを解決するにあたって大切なのは、その場に適した「空気」を作り出すこと。

人は周りを見て自分の感情を様々に変化させていきます。
それは自分を周りの環境に適応させていくための一つのスキルです。
その場と今の自分にどこか差がある場合、人はそれを修正しようとする。
これは話し合いというものに重要になってくる事柄なのではないでしょうか?

つまり、話し合いは常に場の空気の支配が不可欠なのです。
その流れが自然に自分の思うようになることは決してありません。
流れは生物のように転々と変化し、常に一定ではありません。
その流れを自分が思うように操れるかどうか、これは会議をうまく進めたいと
思う人の力にかかっているのです。

確かに会議の停滞はその場の参加者によるものです。
しかし、それであれこれ嘆いていても始まらないのです。
自分がその流れを作り出し皆を導く、その思いを持てるか否かに
会議の成功がかかっているのだと自分は思います。
しかし、これを絶対成し遂げたい、その思いの強さがあれば
決して難しいことではないはずです。

「積極性」、これは主催者と参加者の思いが互いに一致した
とき、初めて生まれるもの。
自分たちはその力量をまさに試されているのではないでしょうか。

では、また。
浜松北高地学部天文班 - meeting
20:31:28 Top↑
2010.04.01 手短に
前の方すいません。
更新しようと思ったのですが、ある事情で寝不足の日々が続き・・・
本当にすいません(苦笑)
これからは・・・まぁ、無理がない程度に書いていきます。
では、本題へ・・・

ついに論文が完成し、私達がこの部活にいられるのも残りわずかに
なってきました。
ですので、これからはちょっと手短に書いていくようにします。

人は一つの事物に対して複数の感情を抱くことがある。
そしてそれらは互いに背反した感情であることもまれではない。
そういう状況に陥ったとき、自分はどの感情が自分の本当の心であるのか迷ってしまう。
なぜなら、それらは決して矛盾という言葉では片づけられないほど
全てが筋が通っていて、それでいてそれぞれが互いに反発し合う独立した思いであるから。

では、そんな時自分達はどうすればよいのでしょうか?
暇がありましたら、考えておいてみて下さい。

次の時に、私の意見を書いてみたいと思います。

では、また。
浜松北高地学部天文班 - 手短に
14:02:43 Top↑
2010.03.17 time
第4回学祭プロジェクト、今回はアトラクションについてでした。
みんなからはいろいろな案が出ましたが、時間内にうまく
まとまらず結局先延ばしという結果になりました。

「時間」とは人にとってどのようなものなのでしょうか?
自分達はそれを時計という形で認識していますが、しかしその数字が
時々意味をなさなくなるときがあります。

例えば、自分の中ではちょっとしか経っていないと感じていたけれど、
実際はすごく過ぎていた、長い時間と感じていたが、実際は全然経っていなかった、
これは日常の中でよくあることではないでしょうか。

何故体感と実際の時間で差ができてしまうのか。
それは、差がその時の人の感情を表しているからなのでしょう。
楽しいときや嬉しいときの+の思考は、より長く過ごしたいという
思いを生み出し、体感時間を知らず知らずに圧縮させる。
逆に悲しいときやつまらないときの-の思考は、早く時間が経って
しまえばいいという思いを生み出し、それを短くさせてしまう。
この原理は多分多くの人が本能的に気づいていることでしょう。


時間と感情は切っても切り離せない関係である。
この関係はより楽しい方へ楽な方へという人の欲求を促進させているように思えます。

つまらないことや困難なことに出会った時、人は立ち止まり、その分時間だけが過ぎてゆく。
その無駄な時間に人々は耐えきれなくなり、別の自分を安心させてくれるところへと向かってしまう。

人は無駄という言葉が嫌いで、それを自分から遠ざけようとしがちです。
なぜなら、未来の利益よりも目先の感情の方がずっと重く感じてしまうから。
何かでその時間を埋めよう、でもその時間は別の大切な事に使うためのものであったはず。
それを自分たちは忘れてしまおうとするのです。
でも、それでは何も手に入れられない、それどころか何かを失ってしまうこともある。

自分たちの時間はけっして無限のものではない。
それを実感するのはとても難しいことです。
その中で、それをどれだけ大切に思い、いかに
そのひとつひとつを大事に扱っていくか。
これは今の自分たちがもう一度見つめ直すべきことなのではないでしょうか?

ここで区切ります。では、またの機会に。
... 続きを読む
浜松北高地学部天文班 - time
18:43:33 Top↑
初めて書きます。

ついに学祭準備が始まりました。ところで、そもそも学祭とは何なのでしょうか?

自分は思うに学祭とは、一つの「物語」なのだと思います。始まりはほんの些細な事。きっと自分達の中でも小さなものなのでしょう。

しかし、それに触れていくうちにいつの間にか大きなものとなっていく。そしてそれは、一つの結末として終わりを告げるのです。

そう言葉にしている自分ですが、まだそれをはっきりと理解しているわけではありません。

それはその話の終わりのあとの感覚なのです。その思いにたどり着くのはいつなのか?
それは、まだ自分達は知ることは出来ません。
ただ、それはいつでも終わりの実感と隣り合わせなのです。

それらの思いは、自分達にどんな心の変化を与えるのだろうか?そしてそれは、自分達のこれからの話をどう変えていくのだろうか?

まだ、その問いに明確な答えを出すことは出来ません。なぜならそれは、一人一人が自分で手にするものなのですから。

ここで筆をおきたいと思います。稚拙な文ながらお付き合い頂きありがとうございました。

では、またの機会に。
浜松北高地学部天文班 - 学祭プロジェクト始動
21:10:28 Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。